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July 2009

すべては「思い」から

今週は夏風邪をひいてしまい、なかなか更新が
できないでおりました。
(更新さぼりと風邪とは実はあんまり関係ないのですが。。。)

ここのところで印象にのこったことをいくつか書いてみます。

ひとつは先週の話になってしまうのですが
地元の「ベンチャーウィスキー」という日本一小さい
蒸留所の肥土伊知郎(あくといちろう)社長にそのウィスキー
醸造所を紹介していただいたことです。

その立ち上げまでの大変なご苦労のご様子や
現地の様子は下の記事を参考にしていただいて。
肥土社長記事
ベンチャーウィスキー見学レポート

1000万の資本金を使い尽くすつもりで、毎晩4、5件
のバーを歩き、「蒸留所をつくる」という夢をかたりつづけたという
ことや、

大手の清酒メーカーに飛び込んで、作ったものを
買い取る条件で、寝泊りしながら蒸留技術を習得して
いったというバイタリティーにとても感銘をうけました。

「はじめは自分で話をしながらも、半分半分の気持ちでいたの
ですが、
『その話、自分も応援するよ』
という人が増えるにつれて、本当に実現したい、というように
気持ちがかわっていったんです」

というお話がとても印象にのこりました。

夢というのは、スタートはご自身であったとしても
それを仲間が一緒につくりあげられていったのだろうか
というように感じました。

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もうひとつは、日刊工業新聞のISOWAさんの
改革のご紹介の記事をいい会社ってどんなだろうの
A社長からいただいたことです。

いい会社ってどんなだろう

著作権があるとおもうので、記事の掲載はいたしませんが、
ISOWAさんの開発の歩み、そして風土の改革、さらに
新技術の展開といった改革のご様子が4回シリーズで
掲載されていました。

「風土改革」が社内の改革から始まり、お客様サービスの変化、
さらに製品開発にまでつながっていくという進化の様子が感じられます。

「風土を変えるとはなにか」ということがよく問われる
ところですが、
風土が経営課題をかえること、そしてビジネスそのものを
変えていくことにつながるのだという大きな希望を
感じることができました。


それぞれまったく業種も業態も違いますが、共通しているのは
日本一のウィスキーをつくりたい、世界に誇れるダンボール機械を
つくりたい、という「思い」とそれをとりまく「仲間」ということから
すべてが始まっているということでしょうか。

思いは発信しつづければ、やがて本当の「思い」になっていく
というような気がしています。

ちなみに今日の僕は、風邪が治らず頭が「おもい」です。

お後がよろしいようで。

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見えているのか。

自動車関係のお客様にでむく途中で、
ピーター・ドラッカーの「企業とは何か-その社会的使命」を
読み返しました。

これはドラッカーがGMから乞われて、GMの内部を
くまなく観察した結果として、マネジメントという概念を
初めて体系化して書いたものといわれています。

今日の組織というものの基礎をつくりあげたとまでいえる、
GMのすぐれた分権制の話や、ドラッカーが強調した、産業
そして企業に市民性と社会性をとりいれていくという先見的な
指摘もさることながら

このなかでドラッカーが「社員一人ひとりの経営参画」という
点をとりあげたことにGMが大きく反発して、本書を「禁断の書」
としてその存在を抹殺していった歴史的な事実にむしろ興味をひかれます。

GMの元CEOアルフレッド・スローンがこの本への対抗の
意味もこめて『GMとともに』を書いたという逸話や
実際の『GMとともに』のそのぶ厚さを目にするときに
スローンの自身の経営理論に対する自負を強く感じます。

しかしながら、現在のGMがおかれた環境はあらためて
いうまでもないでしょう。

ドラッカーは、人間がつくるものは、時がたてば必ず陳腐
化するものであるから、どんな体制やどんな考え方も
常に絶対的に正しいものだと考えてはならないということを
強調していたようですが、
GMは、自分たちがみずから数十年かけて築きあげてきた
ものは、科学であり、間違いのないものである、ととらえた
ようです。


先日「ようこそ先輩」というNHKの番組をみたところ
ドキュメンタリー作家の森達也さんが

「見るということは、その視点から見えないところ
をつくることである、見えているということは同時に
見えなくなることでもある」

ということを小学生に説いていたことが印象に残っています。

また、ケン・ウィルバーという人も、「人間は必ずあるめがね
をかけて世の中をみている。そのめがねをかけている
こと自体に、より高次の観察者として気づくことが成長である」
というようなことをいっています。

Integral Japan-All Quad All Levelsより

自分の信念とも言えるべきことが、ともすると
自分の足元を揺るがすことにもなりかねないという
現実をしっかりと見極めていくことも大切なようです。

そして、ある信念にコミットすることはとても大切な
ことであると同時に、
「今はこの信念に対してコミットしている状態」にすぎない
という、ある種突き放したような「自己観察力」をもっていくことも
また同時に持ち合わせることが、
激動の時代に柔軟に対応していく上では不可欠なことに
なるように感じます。

本書が60年前に出版されたとは思えないくらい新鮮である
と同時に、
ドラッカーという人自身が、自らを客観的に観察できる力を
もっていたことを本書を通じて改めて感じました。

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壁を越える。

今朝の新聞にこのような記事がありました。
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NEC、3000人の対話集会 グループの将来像討議

 NECは社員どうしがグループの将来像を話し合う大規模な
対話集会を開く。グループ企業も含め、役職や年齢、部署を越えて、
「NECにとってイノベーションとは」など4種類のテーマについて
討議する。参加者は延べ約3000人にのぼる。

 集会は1回当たり約200人が参加。1グループ4~5人で話し合う。
15分ごとにメンバーも入れ替え、できるだけ多くの人と話せるように
する。初回は17日に東京と大阪の計3カ所で開く。今後2カ月の間に
国内外で計16回開く予定だ。
(07:00) NIKKEI NET(日経ネット)より
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NECさんは以前にもアクション・ミーティングなどミーティングの
あり方に革新をもとめてこられたようですが、
今回はワールドカフェのような雰囲気なのでしょうか。

ワールド・カフェ(チェンジエージェントの記事より)
ワールド・カフェ(ヒューマン・バリューのHP)

それにしても、これだけの規模でやろうというのは
すごい企画だと思います。NECさんの本気を感じます。

僕自身も日常において、なかなか自分の領域や立場を
こえてお互いに考えるということが結構しづらいことを自覚します。

無意識に自分を守ることをやっていながら、それをあたかも
正当な理屈のようにみえるもので覆い隠しながら表現して
しまいます。

会社で組織という境界をつくりながら、境界をこえていこう
といっているのですから、自己矛盾もはなはだしいのですが。

今日は、埼玉大学の光技術関係の情報交換会に参加させて
いただたのですが、
大学においても、従来の学部の枠をこえて、このように特定の
分野について共同していくという流れを感じてきました。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

皆さん1週間ありがとうございました。
食堂にいつもお花をありがとうございます。

Dsc08461_2


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あついぞ。

猛暑の季節となってきました。
気候にまけないように、ということでしょうか。
社内のこんなものが飾ってありました。

Dsc08460_2

わざわざお店で買ってきて、飾って
いただいたようです。
こういう遊び心は心がなごみます。

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身体感覚。

「現場の『知恵』が働くチームイノベーション」 
源明典子 日本経済新聞社
を休日を利用して読みました。

風土を変えていくということはどういうことか
なかなかイメージがつかみづらいのですが、
本書の中では具体的な会社の改革事例があり、
そのリアリティに圧倒される思いがしました。

「知恵というものは強制力では絶対にうまれない」
という源明さんの一貫した現場支援の力に
読んでいるこちらも勇気づけられます。

特に印象にのこったのが、「身体感覚を重視する」と
いうようなくだりが随所に見られるところでした。
いままでも、改革とは「反射神経のようなものである」
というような言葉を聞く事がありましたが、
身体感覚ということが大切ということが最近ようやく
腑におちるようになってきました。

「腑に落ちる」という感覚自体がそもそも身体感覚
なのかもしれませんが。

というのは、このところしばらく休んでいた体育館での運動に
取り組みはじめたり、また座禅の真似事を以前より少し真剣
にやったりしています。
どちらもとぎれることがありながらも、ぼちぼちと
5年位つづけているのですが、
その中で改めて身体の人間に与える影響の大きさと
いうものの威力を感じているから、本書のこの部分に
共鳴するのかもしれません。

柴田さんが言われる「対応力」の「力」という意味が
この辺にあるのではないかと感じます。

たしかに小学校の夏休みの計画ではないですが、
人間は緻密な計画をたてることより、
「とりあえず動いてみよう」と何かに着手することから
新しいアイデアや知恵がうまれるように思います。

社内でも改革の進んでいる部署では、「とりあえず動いて
みる」ということを大切にしているように感じます。

オフサイトや「話合い」という一見「静的」にみえる営み
の中でさえ、そこには論理で考えるということに加えて
「なにか違和感を感じる」とか「しっくりこない」という
ような感覚というものが、人に向き合う感情とともに
とても大切なように思います。

要は、人間の持っている思考力だけではなく、
感情の力、身体の力というものをすべて生かすこと
こそが、人間の本当の力を生かすことになるのではないか
ということでしょうか。


昔から「心身一如」というような言葉もありますが
脳は身体や環境そして人間関係に根ざしたもの」と
捕らえる下條信輔さんをはじめ、

「対話する力」 中野民夫+堀 公俊 日本経済新聞社 2009
の中で、対話力を高めるために、いろいろな身体トレーニングを
重ねていったという「ファシリテーション」の中野さん

さらにはもっと直裁的には
「SPARK-脳を鍛えるには運動しかない」ジョン・J・レイティ
NHK出版 2009
などにみるように、最近の科学の進歩のなかでも、
脳の発達が身体の開発にダイレクトに関係していることが
明らかになってきているようです。

どうしても「精神論」や「気合」に陥りそうになる
昨今の雰囲気ですが、そういう「気分的」なものに
流されることなく、
「論理」と「身体」と「心」と「思い」とを統合できるような
仕事ができる環境というものを目指していくこと

そんなことを大切にする職場を作っていけたらいいなあ、
と感じる週初めの朝です。

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メモですが。

昨日、東京国際フォーラムで行われた
柴田昌治さんの講演に、無理に参加を
おねがいしてお話しを聞くことができました。

整理のために、UPします。

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『風土がよくなる、ということはどういうことか』

「形式、人、通しやすさ」から「事実に基づいた」
判断基準のある会社になること。

こういう判断基準ではなく「目先の利益」が判断
基準になっている会社は多い。

トップの決断により、いわゆる聖域といわれるような
問題にメスをいれていくことにより、一時的な利益
は飛んでしまうかもしれないが、ここから問題解決
がスタートする。

けれども実際には、社員の一人ひとりは会社に
不満はもっていても、あきらめが先行して
本当の意味で会社や仕事に関心をもっていない。

そのため、仕事を「さばく」ことはあっても、
仕事に一定の距離感をもってしまい「考える力」
を伸ばす機会をもつことができない。

また、本社や上層部が問題への「対応策」を与えるという
姿勢をとりがちであるが、本質的には現場から
「考える力」と「チームワーク力」を引き出すことにより、
「対応策」でなく「対応力」をあげていく必要がある。

ここでいう「考える力」とは「お客さんと自分たちの間
にある、本質的な矛盾(たとえばお客さんは安くして
ほしい、こちらは利益を出したい、というようなギャップ)
をどのようにして克服するか、を考える力を養うことである。

またテーマを与えることは、研修などにおいてもあたりまえ
のこととされ、そのテーマをこなすことがあるが、

「何が今本当に考えるべきテーマなのか」
「何のためにこのテーマを考える必要があるのか」
ということからスタートできる(制約をとりのぞく)ことが大切。

さらに、一般の組織には、「不透明」だったり「あいまい」な
部分が多く存在するが、オフサイトや本音の議論に
よってあいまいな部分を「はっきり」させ、より合理的
な仕事ができるようにしていこう、とみんなが思える
ことが必要。

ただし、そういう議論が始まると、いままで伏せられていた
「パンドラの箱」があくのではないか、というような不安
があることが往々にして障害になっている。

こういう議論ができるような、オフサイトのコーディネータ
を社内につくっていくことが、改革の決め手でもある。

お客様の現場、製造の現場といった現場におちている
本音の話しや不満というものから、制約条件をみつけだし
問題を「当社共通の問題」に一般化していき、それを
経営の課題として解決していくこと、ここまでもっていける
ことが改革である。

「事実は現場にあるという認識」と、
「事実としてのデータや視える化が(形式としてではなく)
わかるようになっている」ということの
両方が両立していることが良い会社の条件である。

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以上、自分のメモ的になりました。

しかし、上記のお話しは僕自身風土というものを
考える中で、社内でよくなっているところ、問題で
あるところ含め、とても大事だと思う話でした。

現実をみると、僕自身が実現したい組織のあり方に
自分自身がもっていけているか、という事実には
正直忸怩たるものがありますが、
「バケツの水を箸でかき回す」という感じであった
としても、あきらめずになんとか実現をしていきたいと
思っています。

帰りに プロセスデザイナーの源明典子さんの新刊
「現場の『知恵』が働くチームイノベーション」日本経済新聞社
をいただきました。(高木さんありがとうございます!)

この本のレビューはまた改めてUPしようと思います。

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勝間さん。

最近マスコミ各方面で活躍されている勝間和代さん
を僕が初めて知ったのは、昨年末に出版された

「起きていることはすべて正しい」 ダイヤモンド社でした。

この本によると、勝間さんが心がけていることが、

「三毒(妬む・怒る・愚痴る)を追放すること」と
「アサーティブネス」の2本柱だそうです。

いわゆるビジネス書でこの2つの切り口を取り上げて
いることは、意外でしたが腑に落ちるものでした。

三毒というのは、正確には

「貪欲」:自分の好む対象を求める心。
「瞋恚」:自分の心にかなわない対象を遠ざける心。
「愚痴」:=真実のありようについておろかなこと。

という人間の「煩悩」を示す言葉ですが、

(「明解 仏教入門」城福雅伸 春秋社 より
ちなみにこの本は解説書として傑出した出来だと思います。)

僕自身、昔あることで、抑えられない嫉妬心に
さいなまされたとき、このことを知って、
自分もしょせん煩悩だらけの人間だなあ、と
つくづく納得させられたことを思い出します。


また、勝間さんの言っている、自分の不得意なところを
「捨て」て得意なところで勝負していく、という発想は
とても大事だなあ感じます。

社内でも、チームワークの高い部門は、お互いの
立場の違いはあっても、それぞれの持ち味を
認め合いながら、互いの弱点を補い合って仕事を
しているということを感じます。

「批判しあいながらも、認めあう」、という関係を
人間はチームとしてつくれるのだ、という可能性を
僕自身が社内の皆さんから学ばさせてもらっています。


もう一つのアサーティブについては
勝間さんとアサーティブネスの第一人者である
アン・ディクソンさんの対談が開催されるので
それをご紹介。

勝間和代&アンディクソン講演会


仏教は2500年前の智慧ですし、アサーティブネスは
この数十年の知恵ですが、人間が調和して生きていく
という意味では共通のテーマを取り扱っていると感じます。


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すでに老化が。。。

特に新しい話題でもないのですが、精神科医の
和田秀樹さんの本を読みかえしていたら、
こんな話題が目に留まりました。

「40歳すぎると謝れなくなる、これが頭の
老化現象!」

今、若者がキレやすい、という話しをよく聞きますが、
30代の後半の安定期を過ぎると、再び40歳以降
キレやすい年代に突入するらしいのです。

理由は前頭葉が老化するとか、神経伝達物質
(セロトニン)が減少するとかという生理的な要因が
大きいようですが、

立場も上になっていくので、自分の感情におもむく
まま行動することが許されるようになってしまうことも
一つの要因だとか。

自分が「上」だとかんがえれば考えるほど
間違いをみとめなくなったり、
また自分に対する批判に対しても、受け入れがたく
なってくる年代のようですね。

足腰を鍛えるのは運動するというわかりやすい
方法がありますが、心とか頭はどうすれば衰え
ないのでしょうか。
常に新しい刺激をうけることを忘れない、というような
ことでしょうか。

今日の日経新聞でも、職場でのストレスのNo.1
が、2位のお給料を抜いて
「上司との人間関係」だということでした。

知らず知らずのうちにストレス発生源になっていないか
自戒しなくては、と思いながら書いております。

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深く考えること。

だんだん蒸し暑い季節になってきました。

「空調をいれるときには、窓が開いていないか
声をだしてください」という提案が社内からありました。

社内ではいちおう空調をつけるときには、記録をつけよう、
ということになっています。

その背景には、「無駄のない空調をしましょう」と
いう目的があるはずなのですが、
僕たちは、おうおうにして「記録をすること」自体が
目的になってしまいがちなように思います。

こういう原点に立ち返った声をだしていただいて
いることに本当に感謝します。

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僕たちは本当の意味で「考える」ということをしている
だろうか、ということを考えるとちょっと怖いなあと
思うことがあります。

一つ一つのことをいちいち考えていたら何もできなくなる、
ということもあるでしょう。
車の運転を考えながらやっていたら、
会社にたどり着けません。

けれど、仕事の中で僕たちは、
「こういうことが不足しているからできない」
とか、
「こういう人にはこんな仕事」
というようなパターン化した発想をもったり、
いつもやっているから、という意味で
目標をつくったり、計画をたてたり、会議をしたりしている
ように思います。

「本当に不足しているものが制限になっているのか」
「本当にその人にそういった仕事という発想がよいのか」
「この計画や目標を立てる意味はなんなのか」
というようなことを考えることをわすれてしまい、
いままでのパターンで物事をこなそう、となりがち
である、ということを感じます。

実は、これは学習をした結果ともいえますが、
こんなに発想が狭くなるのか、と考えると恐ろしくなります。

こんな風に考えるようになったのは、以前会社の目標を
変えたときに、
「前の目標から変えた理由はなんですか」
というような声が、社員の皆さんからでてくるような
機会をえたことがきっかけです。

目標は毎年変えることが必要、なんておもったり
目標を立てましょう、というと「かっこいい目標」をかんがえて
くれることをうれしく思ったりすることもあります。

しかし、「そもそも目標を立てること、変えることは
自分たちのどの部分にどういう影響があるのか」
ということまで考えることを、社員の方が疑問におもって
いただいたことに本当に驚くと同時に、

しらずしらずの内に、自分自身が「自動操縦」状態に
なっているのではないか、ロボット化しているのでは
ないかと感じたのでした。

本音ベースでの話合いをたくさんしている部署ほど
こういう発想がでてくることを、日常の中で感じます。

話合いの回数が多くても、形式的な話し合いでおわる
だけでは、こういう変化が起りにくいことも感じます。


人間は自分ひとりで考える生き物であると同時に、
自分ひとりだけでは、考えの深さに限界がある、ということ。
本音でたくさん話し合う、ということの威力は
実は僕たちの想像以上にとても大きなことであると
思います。

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